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日昇昌

  平遥といえば、「晋商(山西省の商人)」と「票号(旧時の金融機関の一種)」に触れないわけにはいかない。平遥は、「晋商」発祥の地のひとつであると同時に、中国初の為替、預金、貸し付け業務を専門に扱う近代銀行の雛形「日昇昌票号」の誕生の地でもある。平遥は一時中国金融業の中心地となり、中国の近代金融史上、重要な位置を占めていた。平遥古城は、中国の近代金融史上における特殊な地位を持っており、1824年、中国初の近代銀行の形を備えた『日昇昌』銭荘はここに建てられ、為替手形で伝統的な現金支払い制度を改めた。その後『日昇昌』銭荘の業務は中国だけでなく、日本、シンガポール、ロシアなどの国にも広げられ、『天下第一号』と称された。『日昇昌』票荘の誕生によって、平遥県の金融業が急速に発展し、当時中国の銭荘業務額の半分を占め、中国金融業の中心となった。平遥古城内の西大通りは100年余り前の金融街で、現在も依然として店が立ち並び、商売が盛んになり、嘗ての『日昇昌』銭荘もこれらの店の中にある。 
 清の道光四年(1824年)、為替、両替、預金、融資業務を取り払う中国発の個人の金融機構日昇昌が平遥城内の西大通りに設立された。強い資金力、数多い支店、高い利益によって日昇昌は業界を制覇し、中国金融業の祖となった。 
  中国近代史上、何千年にわたる輸送屋が銀貨を武装護送する歴史に終止符を打ち、社会経済の発展を促進した山西省の手形は宮廷や官僚や社会全般に使用され、一世紀余り山西省に繁栄をもたらした。後、各地の豪商たちがそれを模倣し、全国的金融ネットワークが構築された。 
  中国金融業の祖たる日昇昌が敷地面積2324平米で、城内の西大通りに位置し、前庭の表に営業部を、東側にカウンターを、中庭の東西に会計と交信所を、ホールに応接間を設置する。裏庭の母屋に支配人、番配が住み、東は調理場、西は客間、南の宴会ホールに使用人と丁稚が住む。東カウンターの営業部は預金、融資業務を扱い、相場と間柄の親疎で金利を決め、預金と融資の間の利鞘が主な収入となる。西カウンターには80万両が入る地下室の金庫も天平もあり、銀貨の出納を担当する。各地の銀貨の分量や品質が異なるのでそれを定めることで手数料を得る。交信所の事務室は書簡、手形を通して相場などの情報収集や指令、人事異動にあたり、偽造手形防止を工夫した。特訓を受けない人には書簡を読んでも意味はわからない。 
  一年中十二月分の暗証番号は謹防仮票冒取忽忘細観書章という文字で、毎月30日もそれぞれ三十の文字あり、一から十まで銀貨の数字を趙氏連城壁由来天下伝という十文字で、万千百両を国宝流通で表し、覚えやすい、守秘性に優れる。会計は銀行全体の出納とバランスシート、株主の帳簿や収支帳簿を担当し、支店の帳簿をまとめ、支配人を通して株主に報告し、配当を行う。 
シンプルなオンドルのある狭い部屋が全国の支店を取り仕切り偉業を立てた雷履泰などの名支配人の居室とは誰も想像がつかないであろう。門の前の廊下に日昇の二文字が書いてある扁額が飾ってある。 
  裏庭の南ホールは中国銀行発展史の陳列室であり、盛衰の歴史や銀座の成功物語を勉強できる。日昇昌はその偉業とともに中国金融史に記され、手形に含蓄される文化的魅力も永遠に輝くに違いない。