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双林寺

  双林寺は、平遥古城から西南へ約6キロの橋頭村に位置し、古城南門からは車で約十分の至近距離にある。
 もとの名を中都寺と言う。建立年代は古く、寺院に残る北宋の大中祥符四年(1011年)の碑文によれば、この寺は北斉武平2年(571年)に改築され、そこから数えてもすでに1400年以上の歴史をほこる。南向きに建てられており、敷地面積は1万2000平方メートル。中庭が前後に三つあるつくりの「三進院」で、天王殿、釈迦殿、千仏殿、大雄宝殿など11の主要な仏殿が配されている
寺院には、宋、元初、明の各時代の彩色塑像が合わせて2056件あるという。こんにちまでほぼ完全な形で保存されており、「東方の彩色塑像芸術の宝庫」と称えられているのである。塑像は、最も大きなもので高さ3メートル、最も小さなもので30センチと、その大きさや姿態、表情はさまざまだが、いずれもきわめて精巧につくられている。
  塑像をつくるには、平遥産の粘性の強い赤粘土と砂、麦ぬか、粟のわら、綿、麻紙、方形の鉄釘、針金、木材、ガラス製の眼球など十種類以上の材料が必要だ。製作は、木骨の組み立てから肉付け(粗い粘土の上塗り)、着衣(細かい粘土の上塗り)、彩色までの各プロセスにわかれる。
 塑像には、高い写実性と懸塑(壁に懸けられた塑像)の手法がとられており、それが双林寺の彩色塑像芸術の大きな特色となっている。立体的な視覚効果はバツグンで、まるで生きているかのように躍動感にあふれた塑像が、見る者の心を打つのである
近づいてよく見ると、表面には光沢があり、精緻な細工が施され、素材の質感が十分に生きている。色彩は目を奪われるほどに美しく、とりわけその眼球は、双林寺の塑像芸術の中でもひときわ精彩をはなっている。仏像の眉や目の縁、眼球などは、人間の解剖学原理にてらして精密につくられ、中でも黒ガラスをはめ込んだ眼球は輝くばかりで、仏像に生気と迫力を与えている。
 もうひとつの特色は、それが中国古代の彫刻・絵画芸術を踏襲した上で、それぞれの長所がきわだつ彩色塑像芸術を打ち立てたことである。はだの色や服装などに異なる色をつかう際には、塗る、染める、描く、刷る、点描する、こする、拭くなどさまざまな手法で、生き生きとした塑像をつくり上げたのである。
  双林寺では、各仏殿の彩色塑像にそれぞれきわだった特徴がある。千仏殿にある自在観音の左側に立つ韋駄立像は、仏像の一般的な配置とは異なっている。大きさは人の背たけぐらい、ガラス製の眼球がはめ込まれており、その姿は勇ましく、双林寺でも傑出した作品となっている。韋駄天は、増長天(四天王の一)の部下にあたる勇猛果敢な将軍で、一般的な寺院の韋駄立像はみな、天王殿の中央に置かれた弥勒仏の背後の厨子の中に納められている。双林寺のように、自在観音(観音菩薩の化身の一つ)のわきに配された韋駄立像は、中国の仏教寺院の中でもまれに見るものだという。
  伝説によると、こうである。文殊菩薩が観音菩薩の誕生祝いに、山のような贈り物を用意して、韋駄天に持たせ、向かわせた。しかし贈り物は、途中で出くわしたトラにすっかり食べられてしまった。韋駄天はすかさずトラを退治したものの、両手はカラでなにもない。しかたなく南海の観音菩薩のところまで行ったが、心中穏やかではなく、洞の前をうろつくばかりで、観音菩薩に会わせる顔がなかった。
  しかし観音菩薩は、韋駄天が果敢にもトラを退治したようすをこっそりとうかがっていた。そして、韋駄天に好感を持ち、心から思った。「文殊の贈り物はとどかなかったけれど、その代わりにすばらしい護法神を与えてくれた。それもまたよし」
 観音菩薩は、訪ねてきた韋駄天に言った。「韋駄天や、さきほど起こったことはすべて見ていたのですよ。贈り物をなくしたことは問題ではない。ただ、あなたが叱責されるのではないかと心配しているのです。ついてはここにとどまり、護法神として仕えた方がよいのでは……」。こうして、双林寺の韋駄立像は、観音菩薩のわきに護法神として配されたのである。
  紀元6世紀に造られた双林寺の中には10余の大きな殿堂があり、これら殿堂の中には13世紀から17世紀までの彩色の泥人形が1500余置かれ、中国古代の彩色塑像芸術の宝庫と呼ばれた。国宝級の有形文化財双林寺に国内や海外の観光客が憧れて踵を返すほど殺到した。